|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 軽 : [けい] 1. (n,pref) light ・ 巡洋艦 : [じゅんようかん] (n) cruiser ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
ウースター(USS Worcester, CL-144)は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。ウースター級軽巡洋艦の1番艦。艦名はマサチューセッツ州ウースターに因む。その名を持つ艦としては2隻目。 == 艦歴 == ウースターは1945年1月29日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工する。1947年2月4日にグロリア・アン・サリヴァン(マサチューセッツ州ウースター市長の娘)によって命名、進水し、1948年6月26日にフィラデルフィア海軍基地で艦長T・B・デュガン大佐の指揮下就役した。 ウースターは巡洋艦サイズと駆逐艦の操縦性を持ち合わせ、水上目標同様に航空機に対処できる主砲を装備し、第二次世界大戦中の戦訓の多くを具体化した。ウースターと姉妹艦のロアノーク (''USS Roanoke, CL-145'') は二つの機能を兼ねた巡洋艦の典型であった。 就役後第10巡洋艦戦隊 (CruDiv 10) に配属されたウースターは初年度を艤装および東海岸での整調訓練で過ごし、続いて信頼性試験を行った。1949年の夏にグアンタナモ湾で初めての大規模演習に参加し、ジャマイカのキングストンを訪問した。9月6日に地中海に向けてロードアイランド州ニューポートを出航し、10日後にジブラルタルに到着する。同月末に第6艦隊との最初の展開を行い、マルタ、チュニジアのビゼルト、フランスのゴルフェ・フアン、ギリシャのアルゴストリ、ファーレロン湾、トルコのイスカンダルン、イタリアのトリエステとヴェネツィア、ジブラルタルを訪問した。この配備中に空母レイテ (''USS Leyte, CV-32'')、重巡洋艦デモイン (''USS Des Moines, CA-134'') を始めとする任務部隊と艦隊演習を行う。ウースターは12月10日にノーフォークに帰還した。 ウースターはニューポートからノーフォーク、プエルトリコ南方まで東海岸で作戦活動に従事し、フィラデルフィアを訪問後1950年の春に再び第6艦隊に配備される。5月3日にノーフォークを出航し、13日にリスボンに到着、その後地中海入りした。 地中海での訓練および演習の間に、ウースターはシチリア島のアウグスタ、ビゼルト、ジェノヴァ、ラ・スペツィア、フランス南部のゴルフェ・フアンを訪問し、7月20日にファーレロン湾に入る。同湾には1週間停泊し、ウースターは僚艦と共に地中海で活動を行っていたが、6月25日に朝鮮戦争が勃発、7月27日にフレッド・T・ベリー (''USS Fred T. Berry, DDE-858'')、ケプラー (''USS Keppler, DDE-765'')、ノリス (''USS Norris, DDE-859'')、マカフェリー (''USS McCaffrey, DDE-860'')からなる第21駆逐艦分隊 (DesDiv21) と共にファーレロン湾を出航した。艦隊は29日の朝にエジプトのサイド港に到着し、同日午後にスエズ運河を通過した。 艦隊はコロンボに到着、8月7日から9日まで燃料補給を行い、マラッカ海峡へ向かった。バシー海峡を通過し沖縄の中城湾に8月19日に到着した。途中ウースターは中国軍の台湾攻撃を警戒した。 ナヴァソタ (''USS Navasota, AO-106'')から燃料補給後、ウースターは20日に中城湾を出航し、台湾哨戒部隊と合流するため基隆へ向かう。 21日に部隊と合流し、ウースターは22日から26日まで基隆に停泊、27日に第77任務部隊の護衛として出航した。同部隊はフィリピン・シー (''USS Philippine Sea, CV-47'')、ヴァリー・フォージ (''USS Valley Forge, CV-45'') を中心として形成され、韓国沖合の黄海で活動した。 翌28日にノリスと共に第77任務部隊に合流、朝鮮半島南西部の敵部隊に対する作戦活動のため黄海へ向かう。空母艦載機は連日北朝鮮の地上部隊に対する攻撃を行い、その間ウースターは北朝鮮空軍の反撃に対する護衛を行った。ウースターの艦載ヘリコプターは近海で不時着水したパイロットの救助任務を担当した。 9月4日、ウースターのレーダーは13:31に未確認機を発見する。4機のF4U コルセアがヴァリー・フォージから発艦し、未確認機は双発爆撃機と確認された。機体には赤い星が描かれていた。13:45にコルセアはフレッチャー (''USS Fletcher, DDE-445'') に誘導され、爆撃機を49マイル遠方から撃墜した。 翌日ウースターは未確認機の編隊が東方から接近するのをレーダーで察知、11:08に総員配置となり、敵機の攻撃を避けるため20ノットで巡航した。3分後、ウースターは6インチ主砲の一斉射撃を未確認機の方向に向けて三度行う。その後未確認機の編隊は偵察飛行中のイギリス軍のサンダーランド飛行艇であると判明した。21:43にウースターは戦闘配置を解除し、第77任務部隊と共に巡航を再開した。 9月6日は朝鮮半島沖合で対空射撃訓練を行うため、艦載ヘリコプターをフィリピン・シー (''USS Philippine Sea, CV-47'') へ移動させる。訓練後にヘリコプターはウースターに復帰し、その後佐世保に向かい燃料、弾薬、物資の補給を行う。 ウースターは9月7日から9月10日まで佐世保に停泊し、9月11日の05:32に再び第77任務部隊と出航した。艦隊は国連軍の仁川上陸作戦支援のため黄海に向かった。 上陸は9月15日に行われ、ウースターは上陸部隊支援のため高速空母任務部隊の護衛を行った。その後9月20日に第95.2任務群と共に浦項に対して艦砲射撃を行う。続いて済州島、対馬方面に向かい、ウースターはヘレナ (''USS Helena, CA-75'') と共に浦項の12マイル北を巡航した。 その後も第95.2任務群と共に朝鮮半島沖合の偵察を続ける。24日の06:00に火力支援任務をヘレナと交代し、ヘレナは佐世保に向かった。艦載ヘリコプターが対潜哨戒を行っている間、ウースターは08:05に、沿岸に終結する北朝鮮軍に対して砲撃を行った。その日一日ウースターは精密なピンポイント砲撃を行い、その後駆逐艦サミュエル・N・ムーア (''USS Samuel N. Moore, DD-747'') と砲撃任務を交代、ブラッシュ (''USS Brush, DD-745'') と共にその夜火力支援海域を偵察した。 ウースターは1950年代の中頃に第6艦隊の下で4度の地中海配備を経験し、二度の北ヨーロッパ訪問を行った。この間に艦隊訓練演習に参加し、ノルウェーのベルゲン、デンマークのコペンハーゲン、アイルランドのダブリン、イギリスのポーツマスへの親善訪問を行った。海外配備の間に、ボストン、ノーフォークといった母港近くでの作戦活動も行われた。加えてカリブ海、西インド諸島といった温暖な海域での作戦活動も行なった。 ウースターは1956年1月に大西洋から太平洋艦隊に配属され、第7艦隊の下で二度の配備を行う。佐世保、横須賀、香港、マニラ、また函館、長崎、下田、横浜、神戸といった都市を頻繁に訪れた。母港のカリフォルニア州ロングビーチに帰還したときは、近海での作戦活動に従事した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウースター (軽巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|